月と砂漠の頃

 塚口は、東西に延びる阪急神戸線伊丹線が北に直交する、兵庫県の小さな街である。塚口発伊丹行の列車などは、そのあまりに湾曲した線路のために駅付近では時速10キロも出せない。異様なスピードで走るその車両は、踏切に立つ人々をしばしば陶酔させる。
 2018年の4月から7月にかけ、俺は塚口に住んでいた。飲食はもっぱら駅付近の二百円蕎麦屋か、ヒップホップの流れるハンバーガー屋で済ませていた。住居はそのバーガー屋の裏手にあり、駅へは徒歩2分で行けた。ガスの契約をしていなかったので、お風呂は毎日温泉に行った。俺はすぐにその街が好きになった。
 長続きしないことは分かりきっていた。当時の俺は極度の不眠を会社に隠し、薬が効いたまま通勤していた。というのは、ここでの暮らしの終わりが命の終わりだと考えていたからである。危険な暮らしだが、自分が破滅していく様相に強い動機を感じていた。
 つかしんは、塚口駅を伊丹方面へ一駅ほど行った、温泉施設の併設された商業施設である。俺は毎晩つかしんでたっぷり入浴し、商業ブースを冷やかしていた。つかしんの帰り道が好きだった。何しろ初夏のじめっぽい空気を自転車で切り、夜景を流すより楽しいことはないのだから。
 平日はそんな感じで過ごしたが、休日には神戸や大阪に出かけた。垂水の玩具みたいなロープウェイ、三宮で見かけたボロい猫、灘の異国っぽい商店街、芦屋の坂だらけの住宅街、十三から見える大きな橋、梅田のざわめき、心斎橋の知らん服屋。刺激的だった。朝は自転車で出発し、帰りは必ず夜だった。
 「そろそろ終わりかな」と思ったのは、睡眠薬を日に20錠くらい飲んでいた頃だった。もはや前も見れない状態なのに、最後に見たいものは映画だと思った。駅前にリバイバル上映の盛んな塚口サンサン劇場があり、そこで ”The Shape of Water” という映画を観た。感想など無かった。
 帰り道、ホームセンターに寄って太い縄を買った。帰宅してそれをドアノブにかけて俺は笑っていた。俺のこころは部屋中に拡散し、壁に当たると「さよなら」を反響してうるさかった。寄る辺など、この縄以外にあるだろうかと考えた。そうして随分優しい気持ちで首に縄をかけた。ドアに背中を擦ってしゃがんだ時、部屋の窓が少し開いているのに気付いた。その隙間からは、月光に照らされた広大な更地がのぞめた。そこは先日まで草花が鬱蒼とし、俺が可愛がっていた猫たちが暮らしていたのだが、全て伐採されたのだった。
 「ふあー」と言ったと記憶している。俺は表情も変えず、急に生きる方向へ向かった。首にかかった縄を窓から捨てて「君死んでたよ」と真顔で言いまくった。住居を後にして駅前のたこ焼き屋で10個入のを買い、踏切の脇でゆっくり食べた。伊丹行の電車を眺めながら「東京に帰るかー」と陶酔した。
 その後東京に帰るまでの状況は去年書いた通りだけれど、今も相変わらず不眠である。薬は適量になった。来月からまた働くし、もう一年も前のことだから、そろそろ時効かなと思って書いてみた。大好きだった街で、自分を殺そうとして、そうはできなかった。それだけのことなのだけれど。