ドアスコープ

 ひとり暮らしをして半年が経った。
 この半年で生活自体はずいぶん変わったけれど、俺自身変わったところはあまりない。せいぜいリクガメを飼い始めたとか、煙草をやめたとかゴミの日が好きになったとか、それくらい。ひとりで生活をしていると、たった3ヶ月間だけ暮らしていた関西での日々をよく思い出す。
 理由は単純で、今使っている家電や調理器具の大半が兵庫や大阪で買ったものだからだ。たとえば炊飯器。これでお米を炊いていると、自転車のカゴに炊飯器を詰めて渡った、十三大橋のことをよく思い出す。その流れで十三駅の商店街から見た朝焼けの思い出や、午前の光の中を歩いた伊丹工業団地の記憶などが、次々に蘇ってくる。今更思い出したところで感傷に浸る気も無いのだけれど。

 大阪勤務の友人が東京に帰省してきた。連絡が来たので会って話してみると、彼は東京に戻るために転職を考えているらしかった。その転職先として、俺が以前いた会社(つまり俺が関西で勤めていた会社)を候補に挙げていた。その会社は東京にも拠点があり、彼はそこを希望しているらしい。

「なんで辞めちゃったの?」

茶店を出て早々に、彼にそう訊かれた。

「いや、結局は俺が大きい企業に向いてなくて、あの時は生活もヒドくて...俺以外に辞めた人、いなかったし」

「うん」

「会社自体は悪く無いと思うよ。やりたいことがあるなら特に。自分の問題だったから、俺は」

「...ふーん」

やはり彼は、俺の返答にあまり納得していないようだった。というのも、彼には関西での俺の生活についてあまり話したことがなかった。そして俺は、この後に及んでそれを彼と共有するつもりもなかった。だから俺は彼に対して距離を置いた答え方をしたし、彼が俺の返答に猜疑的であることもよく理解できた。

「たしかに俺は会社の指示で関西に行ったし、そこでつらい想いをしたのも会社が原因の一つだったよ。でも、そこでどう生活するかは俺の問題で、生活をないがしろにしたのも俺で」

「それは、会社が違えば辞めなかったってこと?」

「...」

俺は、言葉に詰まった。家電や調理器具を使う度に思い出すあのアパートの光景。ドアスコープのように歪んだ日常。俺があの時感じていた悲しみや寂しさを、彼は理解してくれるだろうか。だけれどその時、俺は不思議と「言葉にしてもいいかな」と思った。特に考えは無かったけれど、あの時アパートの一室で思ったことは、もう人に話せる気がした。
俺は、少し伺うような口調で言った。

「会社終わって、北伊丹まで歩くじゃない、電車乗るとちょうど空がオレンジ色でさ、でもそんなことはどうでもよくて。ずっとモヤモヤしてんの。夕飯食べるのがダルいとか、今日も手応えがなかったとか、誰にでもあるでしょう。で、家に着くとさ、玄関がすごいのよ。郵便受けからチラシが漏れてて。でも片付けらんないの。意気がないから。もう『このへんが玄関だ』と思って、全然そうじゃないところで靴脱いでさ。キッチンを見ると焦げたラップとか薬のカスが散乱してて。記憶がないんだよね、薬飲んでたから。俺泣いちゃってさ。『からっぽだ』と思って。ずっと憶えてんの。悲しかったこと。ずっと、そういう感じで」

俺が言い終えると、彼はすぐに「ああ」と言って、しばらくしてから「わかった」と言った。
正直俺は彼に伝わったとか、伝わらなかったとかはどうでもよかった。ただ俺があの部屋で感じた悲しみを人に話して、その人が俺と同じように悲しくなくても俺は傷付かず、でもやっぱり言葉が全部じゃないよと叫び出したい衝動は、いつになっても消えなかった。
 

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