おみやげ

 ずっと前のことだけど、電話しながらパニックになって「もうだめかも」と何度も言いながらゲロを吐いたら、溶けてない錠剤がたくさん出てきて「ゲロになると怖いかも」と受話器を取りこぼし、そのまま気を失ったことがある。

 オーバードーズをしなくなって3年が経った。
 当時のことを思い出すとつらくなることも多いが、やめたきっかけを振り返ると今でも勇気をもらえる。
 関西から段ボールを引いて帰ってきた俺を遠目で見て「ごはんあるよ」と軒先で手を振った両親や、喧嘩で7年も喋ってないのに「休めよ」と両親を挟んで伝言してくれた兄、「飲みに行くか」と笑って俺の悲しみを受け入れてくれたT君。
 そして、電話が切れた後で俺に会いに来て「生まれてきてくれてありがとう」と言ってくれた、俺の孤独に関する人。俺はその時、生きてきて初めて「生きていよう」と思った。
 結局あれから薬を飲みたいと思わなくなったことと、今こうして日記を書く理由はつながっている。同じことだ。つらいことがあったら、あの時の気持ちを心から少し取り出して、確認してはまた包んで戻して、くじけそうになったらまた取り出して、また包んで戻して。
 俺はこの小包を、この先もずっと持っておきたい。死んであの世に持って行けるものがあるとしたら、この小包は両手で掴んでいたい。

「こんな小包1個だけど、俺こんなもの持ってんすよ」

きっとそれは、いくつも持て行けるものではないから。