天気予報

「あのメガネの人が」
そう聞こえて視線を上げると、若い女性が俺を指差しながら物件担当者に話しかけていた。
「あのメガネの人が立ってるところにゴルフバッグを置きたいんです」

 この仕事を担当して、2年が経った。今俺は高級物件向けのとあるサービスに関する運用保守をやっている。普段は在宅ワークだが、週一くらいでこのサービスが導入されたモデルルームに赴いて、住宅機材の調整を行っている。モデルルームでは俺一人の作業が多いのだが、稀に内覧者案内に居合わせることがあり、ごく稀に「あのメガネの人」と内覧者に指差されることがある。

 先日も突発で作業を依頼され、都心の一等地にある集合住宅のモデルルームに伺った。
 節電のため内覧以外ではクーラーが使えず、作業が終わる頃には汗だくだった。俺はリビングの丈夫そうなテーブルの上にパソコンを置き、針金みたいなスツールに腰掛けて水を飲んでいた。同じテーブルの上には、絶対に腐らない偽物の果物が盛られている。周りを見渡すと高級家具や生活を繕った品々が綺麗に並べられていて、ミニマルなサイドテーブルには用途不明の岩塩が鎮座しており、クイーンサイズのベッドには銀のトレーに乗った未開封のシメイが用意され、革張りのソファには同じ英単語が羅列された架空の雑誌が故意に広げられていた。
「偽りまみれがよ」
と、自分の小声が空間にこだまして驚いた。

 モデルルームを去っても外は暑く、汗でシャツが胸に張り付いた。ジーンズやブーツで熱の逃げ場もなく、朦朧とした意識でよくやく帰りの電車に乗った。
 電車に揺られながら俺は、今まで自分が住んできた家々のことを思い返していた。あのモデルルームのような華やかさは無いが、少なくともすべてが現実だった。前住んでいたアパートでは女の子と一緒に暮らしている期間があって、生活に必要な家具や家電が部屋に増えていった(結局彼女とは別れてしまった)。その前は実家に住んでいた。見慣れた冷蔵庫に見慣れた机、そして見慣れた家族。つらいこともあったが、そこは俺にとって安心できる場所だった。
 「その前は」と遡って、また思い出す。この時期はいつもだ。

 塚口のアパートに住んでいた時、購入した家具家電は炊飯器だけだった。これは不眠で仕事を休んだ日の午後に、自転車で梅田まで買いに出かけたものだった。
 その日は夏日であるとニュースが伝えていた。
 汗だくになりながら、公園を見つけては水を飲みつつペダルを漕ぎ続けた。ようやく到着した梅田のヨドバシカメラで、悩みに悩んで1.5合炊きの安物を買った。店外へ出る頃には陽が沈みかけていたが、蒸し暑さはむしろ出掛けた時よりも増していたと記憶している。
 二日眠れていなかったからか、帰りは限界に近かった。梅田を出てすぐ、十三へつながる十三大橋の上で足が動かなくなった。自転車から降りて、橋の下を流れる淀川を見下ろして「はやく楽になりたい」と考えていた。俺はジーンズのバックポケットに入れていたお茶パックを2つ掴み、それを口に入れて十三方面に視線を戻した。橋が、果てしない長さに見えた。
 その頃の俺はお茶パックに煙草の葉と塩を詰めて、口の中でガムみたいにして噛んでいた。喫煙するより何倍も強烈な充足感があった。誤飲したら只事で済む筈がなく、でもその時そんなことはどうでも良くて、ただ目の前に広がるオレンジ色の空とか、車輪が回って自分が前に進むこととか、煙草畑で陽を浴びるタバコの葉の青色なんかを想像していて、それで十分だと思っていた。
 まどろみと夕闇の中、十三大橋の上で俺は、もうすぐ自分が死んでしまうことを考えていた。自転車のカゴにはさっき買った小さな炊飯器がおさまっていたけれど、それが煙をあげる瞬間はきっと見届けられないと思っていた。
 日没の光景を、ずっと覚えている。ずいぶん時間をかけて橋を渡り、十三駅のガード下あたりをペダルを漕ぐでもなく、足でケンケンして移動していた。足が地面を蹴るジッという音、とそれに合わせて不安定に光る自転車のダイナモ、に照らされる下校途中の中学生たち、を眠るように見つめるカートを引いたおばあさん、の横を走るきらきらの靴の子ども。

 2018年の初夏、「もう終わりにしようよ」と自転車から転げ落ち、顎から血を流して呆然とする俺の姿を、往来の誰もが見ていた。

 今日で塚口を去って4年が経つ。
 今日もテレ東で大阪の天気予報を見ていた。