今が全てだった

 会社を辞めた。
 社宅を今月中に空け渡さなければならず、ここ数日は荷造りに忙殺されている。一週間前は東京で研修をしていた。そこで会社を辞めたから、東京の寮を一夜にして去った。翌日には尼崎へ戻って、今は社宅を片付けながら大阪に通勤している。明日の出勤を終えたら社宅を去って、東京の実家へ戻る。それでやっと退職扱いになる。ほとんどジプシーだ。
 荷造りをする上で困ったことがある。自転車の処理だ。尼崎に越して最初に買ったものは、安物の自転車だった。尼崎から東京への送料を考えると、結局この安物はこちらで処分するしかない。でも引越しの直前まで手放したくないのだ。個人的に自転車は生活のベースだと思っているから。
 今日は自転車を売りに出そうと自転車で市内をウロウロしていた。帰りは徒歩だから、近場で売れないものかと近所を縫うように走った。結局売れそうな店が見つからず、夕方になった。
 夕陽が大阪環状線に沿って高架下に影をなしていた。その影を踏んだ時、引越代を引き出し忘れていたことに気付く。18時以降の引き出しには手数料がかかる。時刻は1730分を回っていた。自転車は売れていないし、周りにお金を引き出せる場所もない。俺は何をしていたんだろう。頭が全く動かなくなった。自転車を早く売らないと、それでお金を引き出さないと、どうすれば、いや、自転車は後で、でも明日は出勤だし、何とかしないと、銀行、リサイクルショップ、はやく、あ、お腹、すいた、東京、暑いな、うるさい、だれか、阪急だ、まぶしい、このまま。
 驚くべきことに、その瞬間俺は自転車ごと田んぼに落ちた。世界がひっくり返ったのかと思った。自転車が半分くらい泥に埋まった。俺も半分近く埋まった。稲も埋まっていた。夕陽が全てを照らしていた。その時「ああ、これはもう無理だな」と笑ってしまった。腕時計の泥を拭うと、1755分だった。あと5分の間はこうしていようと思った。その5分間に全てが凝縮されているような気がした。とても綺麗だった。愛おしかった。今が全てだ。家に帰ろう。シャワーを浴びよう。ご飯を食べよう。できたら文章を書こう。そう思った。