幽霊たち

 荒川区の思い出のひとつに、剣道帰りで汗ばんだ俺の手を引く祖母と見送った、三河島を発つ貨物列車がある。「見えることもあるよ」と言って、祖母は煙草屋でソーダ飴を買ってくれた。三河島列車事故は、母によく聞かされていた。俺は事故現場直下のアパートに住んでいた。俺に「見える」ことはなかったけれど、なんだか少し怖くて、いつも人に甘えた。列車が遠のくと豆腐屋がラッパを鳴らして、風呂屋は煙をあげた。そういう場所だった。
 数年後に俺は甲府で熊の幽霊を見る。両親は信じてくれなかったが、祖母は少しもそれを疑わなかった。俺は「見える」ことが嬉しくて怖くて、祖母のもとでずいぶん泣いた。幽霊たちとはそれきりである。

明滅していく

 一度だけハワイに行ったことがある。オアフ島西端のビーチにデッキチェアを置いて、砂を持って眠ったりしていた。夜、友人の泊まるホテルで散々ビールを飲んだあと、俺は自分の泊まるもっとずっとランクの低いホテルに戻るのが憂鬱だった。「遅いし送って行こうか」とおちゃらける友人に「ありがとう、でも大丈夫」と俺はほころんだ。
 一人で歩く夜のハワイは、光のおびただしいものだった。ABCストアのネオンが路駐するマスタングを鮮やかに照射していた。常夜灯の黄色をテールランプの赤が切り裂いて走っていた。ホテルやブティックのグロー、ほの暗い射撃レーン、海のきらめき、遠い山の発光。定かではないが、あれは北東の山だった。家々のポーチライトが点描のように山の稜線を成していた。あんまり光が揺れていたので、余程遠くの山だったように思う。俺はパーキングロットに立っていつまでもそれを見ていた。朝日で空が白む数分のしじまを、大学通りスプロールが隔てて、山の光は明滅していくのだった。

星を掴んだ手を離せない夢を見た

「俺はここで生まれた、流れてきたんだ」と地球から手を伸ばして、どこかも知らない星を掴んで、その手が離せなかった。目が覚めると手には丸まったティッシュが握られていた。「人はこんな夢も見るのか」と感心しながら、その星をゴミ箱に投げた。

エイリアンズの思い出

エイリアンズの最初の思い出は、
友人の部屋に行くと友人が興奮した様子で
「おい月島、この曲すげぇんだ」
と言って、静かに部屋のスピーカーが鳴った高校時代だ。
その友人とはいろいろあって二度と会うことはなくなってしまったけど、この曲を聴く度に「どうしてるかな」と思う。