御霊のように

 10日ぶりに外へ出てみるとそう長くは歩けなかった。家でサツマイモのようにじっと過ごしていたから、体力が落ちぶれてしまったのだ。朝の散歩は中断して、昼過ぎに再び自転車で出掛けた。
 京成線沿いで小規模な焚き火を3件ほど見かけた。浅草の蕎麦屋や日暮里の布屋も軒先で木を燃やしていた。7月13日東京の夕刻は、御霊を迎えるための目印を置く時間だった。この目印を迎え火と呼んで、都内各地では盆踊りが行われる。
 家に帰る頃にはもうくたくたで、自転車のペダルを踏むのさえ億劫だった。自宅付近のカーブミラーに自分が映った。車輪のダイナモ灯がヒト魂のようにフラフラ反射していたので、「帰ったよ」とそのミラーの前でブレーキをかけた。ペダルを漕ぐのをやめると鏡の向こうのダイナモ灯が光を失ったので、この御霊は宵の明りと共に消え去った。

今が全てだった

 会社を辞めた。
 社宅を今月中に空け渡さなければならず、ここ数日は荷造りに忙殺されている。一週間前は東京で研修をしていた。そこで会社を辞めたから、東京の寮を一夜にして去った。翌日には尼崎へ戻って、今は社宅を片付けながら大阪に通勤している。明日の出勤を終えたら社宅を去って、東京の実家へ戻る。それでやっと退職扱いになる。ほとんどジプシーだ。
 荷造りをする上で困ったことがある。自転車の処理だ。尼崎に越して最初に買ったものは、安物の自転車だった。尼崎から東京への送料を考えると、結局この安物はこちらで処分するしかない。でも引越しの直前まで手放したくないのだ。個人的に自転車は生活のベースだと思っているから。
 今日は自転車を売りに出そうと自転車で市内をウロウロしていた。帰りは徒歩だから、近場で売れないものかと近所を縫うように走った。結局売れそうな店が見つからず、夕方になった。
 夕陽が大阪環状線に沿って高架下に影をなしていた。その影を踏んだ時、引越代を引き出し忘れていたことに気付く。18時以降の引き出しには手数料がかかる。時刻は1730分を回っていた。自転車は売れていないし、周りにお金を引き出せる場所もない。俺は何をしていたんだろう。頭が全く動かなくなった。自転車を早く売らないと、それでお金を引き出さないと、どうすれば、いや、自転車は後で、でも明日は出勤だし、何とかしないと、銀行、リサイクルショップ、はやく、あ、お腹、すいた、東京、暑いな、うるさい、だれか、阪急だ、まぶしい、このまま。
 驚くべきことに、その瞬間俺は自転車ごと田んぼに落ちた。世界がひっくり返ったのかと思った。自転車が半分くらい泥に埋まった。俺も半分近く埋まった。稲も埋まっていた。夕陽が全てを照らしていた。その時「ああ、これはもう無理だな」と笑ってしまった。腕時計の泥を拭うと、1755分だった。あと5分の間はこうしていようと思った。その5分間に全てが凝縮されているような気がした。とても綺麗だった。愛おしかった。今が全てだ。家に帰ろう。シャワーを浴びよう。ご飯を食べよう。できたら文章を書こう。そう思った。

尼崎、2ヶ月目

初めてのひとり暮らし、環境や所感など


・木は良いものだ
新居のベランダには3メートル近い柿の木が植わっている。
木陰の揺れにあわせて頭をくわくわさせて、わざと目に陽があたるようにしている。
陽が目に入ると滲みて、泣いているようで燃えてしまいたいと言う。いつもだ。

・猫ちゃん
窓を開けておくと家に猫が入るようになった。
餌をやらないせいか長居しない。長居されたら俺も困ってしまう。
でも好きは好きで、毎日来てよねと思う。

・六甲で鳴る号砲がある
故郷には山が無かった。生活をする上で視界に入る山は特別な気がする。
空気の純粋な日は山が近い。山が近いと、周りの音が止んで号砲が聞こえる。
花火がドンと打ち上がって炸裂するまでの、あの時間のような。

・座ション主義
便器が汚れるのって苦手だ。俺は男だから勇ましく立ってしたいが、
飛び散ったのを始末する姿は女な気がする。
座ションは手頃なソリューションだ。俺は、真の男は座ると信じている。

・終わらない自分イジメ
これは特別なことではないけれど、ひとりだと自分を傷付けてしまう。
バレるのが嫌だからガワは可愛がっている。中身はスクラップで溢れそうだ。
いつか終わると愚痴って、アンビエントに散歩するのだ。

幽霊たち

 荒川区の思い出のひとつに、剣道帰りで汗ばんだ俺の手を引く祖母と見送った、三河島を発つ貨物列車がある。「見えることもあるよ」と言って、祖母は煙草屋でソーダ飴を買ってくれた。三河島列車事故は、母によく聞かされていた。俺は事故現場直下のアパートに住んでいた。俺に「見える」ことはなかったけれど、なんだか少し怖くて、いつも人に甘えた。列車が遠のくと豆腐屋がラッパを鳴らして、風呂屋は煙をあげた。そういう場所だった。
 数年後に俺は甲府で熊の幽霊を見る。両親は信じてくれなかったが、祖母は少しもそれを疑わなかった。俺は「見える」ことが嬉しくて怖くて、祖母のもとでずいぶん泣いた。幽霊たちとはそれきりである。

明滅していく

 一度だけハワイに行ったことがある。オアフ島西端のビーチにデッキチェアを置いて、砂を持って眠ったりしていた。夜、友人の泊まるホテルで散々ビールを飲んだあと、俺は自分の泊まるもっとずっとランクの低いホテルに戻るのが憂鬱だった。「遅いし送って行こうか」とおちゃらける友人に「ありがとう、でも大丈夫」と俺はほころんだ。
 一人で歩く夜のハワイは、光のおびただしいものだった。ABCストアのネオンが路駐するマスタングを鮮やかに照射していた。常夜灯の黄色をテールランプの赤が切り裂いて走っていた。ホテルやブティックのグロー、ほの暗い射撃レーン、海のきらめき、遠い山の発光。定かではないが、あれは北東の山だった。家々のポーチライトが点描のように山の稜線を成していた。あんまり光が揺れていたので、余程遠くの山だったように思う。俺はパーキングロットに立っていつまでもそれを見ていた。朝日で空が白む数分のしじまを、大学通りスプロールが隔てて、山の光は明滅していくのだった。

星を掴んだ手を離せない夢を見た

「俺はここで生まれた、流れてきたんだ」と地球から手を伸ばして、どこかも知らない星を掴んで、その手が離せなかった。目が覚めると手には丸まったティッシュが握られていた。「人はこんな夢も見るのか」と感心しながら、その星をゴミ箱に投げた。