月島の日記

無理になってきた人

鎌倉旅行レポ

特に予定も立てず鎌倉に行ってきた。4日間。このブログでは旅の体験を切り取ったような記事をいくつか書いたんだけど、今回は旅の記憶がまだ新鮮だから、レポート形式で鎌倉がどんな場所だったかを伝えたい。


ということで、旅の出発は5月16日のことである。朝9時に家を出た。服装は薄いニットトレーナーと丈の短いブルージーンズにビルケンのサンダル。リュックを背負って、その上からスタジオカメラをのせた三脚を担ぎ、最寄り駅へ向かった。

品川で横須賀線に乗り換えた時、三脚がガタついていることに気付いた。これはマズい。スタジオカメラは三脚がしっかりしてないとミラーショックで写真がブレてしまう。咄嗟の判断で横浜駅を下車し、近くのヨドバシカメラで三脚を買い換えた。この時点で出費が2万円。時刻は午前11時。ひどい精神状態だったと思う。

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新品の三脚とスタジオカメラ

気を取り直して横須賀線に乗り込み、鎌倉を目指す。鎌倉の一つ手前の駅で「きたかまくらあぁ、きたかまくらあぁ」と気の抜けたアナウンスがなされる。電車の窓越しに向かいのプラットホームを見ると、大勢の高校生が談笑していた。ざっと90人くらいの高校生がホームを埋め尽くし、電車を待っているらしかった。「ここで降りよう」と僕は思った。僕が電車を降りると、しかしそれと同時に向かいの列車がやってきて、高校生全員をさらっていった。僕はただ北鎌倉駅のホームで一人茫然と立っていた。低めの空が「今日は写真日和だよ」と教えてくれたことで、僕はやっと正気に戻ることができた。またペリエの飲む女が目の前を通ることで自意識を思い出し、完全に目を覚ますことができた。女さんに感謝。


北鎌倉駅を出ると円覚寺までの道案内は必要なかった。出てすぐだ。カメラのテストも兼ねて踏切越しに案内看板の写真を撮った。

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北鎌倉駅へ向かう高校生が写り込む。学ラン暑くない?
 

円覚寺入口の石段を登ると料金所があって、300円で入場券がもらえる。300円を払い合法的に入園することにした。出入口付近の自販機でコーラを買い、屋根付き椅子に座ってカメラを肩から下ろす。もう肩が痛い。時刻は正午をまわっていた。コーラを飲みながら周りの客をみてみると、修学旅行生か外国人ばかりだ。椅子から立って缶を捨て、カメラを担いていろいろ撮った。この園内では、三脚の使用が認められているのである。

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 フィルムの特性上、赤色が強調されてしまう
 

円覚寺を出るともう行くアテがなくなった。とりあえず横須賀線に沿って鎌倉方面に歩いてみた。道中おじさんに話しかけられて写真の話をした。「こんなことやってる奴まだいるんだなぁ」と言われた。はい。

しばらく歩くと明月院の案内看板が現れた。案内に従って道を行くと、周囲に緑が多くなってくる。気付けばちょっとした山道だ。明月院といえば紫陽花で有名だが、歩き至った入り口から園内を覗いてみると、もちろん紫陽花はまだ咲いていなかった。これで「入場料300円」の看板が立てられているのだから、たまったものではない。明月院の見学を断念し山道を進むことにした。登りがきつくて引き返そうかと悩んだけど、がんばった。旅だから。

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途中にあった小さいポスト。来世はこれに決まり
 

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静かそうに見える道だが車の往来が激しい。きっと上には街がある

 

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山道を登りきったところ。やはり街が広がっていた

 
山の上の街には古い家々が連なっていた。どこかうらさびしいにおいのするのは、平日の午後だというのに人の姿がまるで見えなかったからだろう。でもイヤな感じではなかった。とても静かで、家それ自体に人の予感があるような、やさしい場所だった。このまま夕暮れになってしまえばいいと思った。しばらく街を練り歩いて満足したので、来た山道を下って元の場所に戻った。

さて再び横須賀線に沿って歩いていると、すぐに建物が邪魔して線路沿いに歩くことが困難になった。仕方なしに手前の街道を歩くことにした。この街道を、鎌倉街道というらしい。まんまか。

鎌倉街道を鎌倉方面にしばらく歩くと、なにやら厳かな雰囲気の門が見える。門の正面左には立派な石柱が建てられていて、大きく「建長寺」と彫られていた。その厳かさから興味を引かれて入場料500円を払ったが、なかなかの見ごたえであった。三脚の使用が禁止だったので写真はない。あるのは、門の写真のみだ。

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石柱元にいる中学生は建長寺に隣接するの鎌倉学園の学生のようだ

 
建長寺をあとにするとお腹が鳴った。そういえば、昼食を食べていなかった。こういうことは自分にとって滅多にないことなので、旅のテンションには驚かされる。時刻は午後3時。しばらく鎌倉街道を歩いたがコンビニもないし、入りにくそうな蕎麦屋があるばかりだった。仕方なくリュックに入ってたグラノーラバーを食べる。歩きすぎてハイになり、下らないツイートをし始める。はやく鎌倉へ行かなければ脳がダメになりそうだ。


鶴岡八幡宮に着いたのは午後4時くらいだった。人が多くてキツかったので裏路地に逃げると、寂びれた神社があった。この街は本当にどこにでも神社がある。

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参拝客はゼロ。社の両脇に駐車されてるのが滑稽


かなり疲れたのでもう宿に向かうことにした。宿といってもドミトリーである。古民家を改造したこの宿へ行くには、バスに乗る必要がある。鎌倉駅から江ノ電バスに乗って湘南深沢方面に走る。途中、トンネルをくぐったり星野珈琲を見てヨダレを垂らしたりした。宿に着くと布団をあてがわれ「あとはご自由に」という感じだった。この宿のいいところは、キッチンを自由に使えるところだ。スーパーなどで食材を買えば調理して食べることができる。この日はコーヒーを沸かすくらいしかしなかったが、2日目以降は結構使った。

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食器や調理器具が使える。使ったら必ずきれいに洗う


オーナーによると平日は外国人の客が多いらしく、今回も宿泊者の9割が北欧人だった。居間でちょっと話したけど、やっぱり英語は疲れる。聞くことができてもうまく話せない。やがて脳が痺れて聞き取ることさえできなくなったので、寝室に行って本を読んでた。三島由紀夫の作品集を持ってきてたんだけど、「海と夕焼」という短編の舞台が建長寺で、ビックリした。さっき行ったとこじゃん。こういう限りなく偶然じみたシンクロニシティや北欧人の笑い声を肴に眠る夜が、僕はちょっと好きだったかもしれない。

二日目以降も鎌倉江ノ島間を歩いたり風邪で寝込んだりしたんだけど、これ以上書くのはやっぱり長すぎる。とりあえずは、これでおしまい。

地図にないところ

レンタカーで起き抜けの仙台市を発って三陸自動車道をひた走ると、石巻ICまではそう長くかからなかった。インターチェンジ下の小規模な街から山道に入り、そこを抜ければ女川湾に出る。助手席の友人と二人で割り勘したレンタカーのナビは、山道のマッピングがうまくいっていなかった。レンタル代をケチりすぎたなと思った。あれは、硯上山と石投山に挟まれた道だったろうか。その酷道から解放されると近くにコンビニエンスストアがあったので、そこで友人に運転を変わった。
「お前、安全運転すぎなんだよ。教習所みたいだ」
「そうかな。教習所嫌いだったよ」
「俺の運転はハリウッドだぜ」
そう言って彼はアクセルを強く踏んでコンビニを飛び出した。海岸線に差し掛かると右手には女川湾の反射する太陽光で黒く潰れた友人の横顔が見えた。彼は運転席のスイッチをいじって車内全部の窓をあけた。ものすごい風が車内に吹き込む。今何キロ出ているんだろう。こちらからはスピードメータが確認できない。カーナビは道なき道を走っていて、それが震災前の、今では意味を為さない地図だとすぐに分かった。業者が更新をサボったのだろう。僕ら二人はハイになっていて、二人ともヘラヘラしていた。ねえ、と僕が彼に話しかける。
「ねえ、今日はどこまでも行ける気がする」
「そう思う」
「でも十分だ、このまま死んでもいいかなって思ってる。ハンドルを右に切ろう。海にダイブしよう」
「知らねえ」
鳴り止まない風の中で彼は、生きるぜと運転席で絶叫した。そうだねと助手席の僕は思った。海と葉っぱと舗装道路とが日差しのなかに置かれ、ぎらぎらと凄まじい反射をあげた。

京都の一部始終


八坂神社を左手に四条通りの交差点を横断していたらものすごい夕焼けに襲われた。それのせいで力尽きた。大和大路を抜けるつもりだったけど、四条大橋ドトールで机に突っ伏して、いつまでもめそめそしていた。夕焼けはもうどこかへ行ってしまった。何かを決めかねているような気持ちで橋の往来を見下ろしていた気がする。当時は薬なんて知らなかったから、そうするしかなかった。煙草がきれたので外へ出る。急に走り出したい気分になり、鴨川を南へ疾走する。やがて東海道線にぶつかり、北へ引き返す。川端町を経由して京都駅に至る。途中、第一旭の行列を横目で見た記憶がある。京都駅5番線のプラットホームは、学生や社会人が下を向きながらまばらに電車を待っていた。その群れと一緒になってJR快速に乗り込むと、桂川駅はすぐだった。駅併設のイオンでパンを見て、見て買わなかった。駅前のバスストップで市バスに乗り込む。降りるバス停の名前を忘れていた。窓から団地が見えたので「ここかもしれない」という気持ちで降車する。しばらくうろついて、それらしい棟を見つけた。エレベーターがないので階段で6階へ。表札を確認してベルを鳴らす。扉が開く。
「おかえりなさい」

慰めに失敗した話


久々に研究室に顔を出すと、なんだか同輩の一人が参った様子だった。話しかけても要領を得なかったからほっておいたが、しばらくすると彼の方から僕に話かけてきた。
「第一希望の企業落ちた」
そんなことだろうとは思っていたので、僕は特に驚かなかった。就職活動中だ。こういう時は徹底的に聞き手に回ってやることが一番だ。
「ああ、それは残念だったね。どういう経緯だったわけ?」
彼はその経緯と理不尽さを、主観と感情を込めて僕に話した。僕は適当に相槌を打ちながらそれに反応する。一通り聞き終わったところで
「まあそういうこともあるよ、がんばっていこうぜ」
と言ってやった。内心「これで俺の仕事終わり」と思っていた。僕たちはそういう関係だった。自分が良い企業に就職し、そこで活躍することに何の疑いも持たない彼だった。だがここで、彼がこんなことを言った。
「それにしても、こんなんで俺の人生が決まるのか。こんな紙切れや、電話一本で、短い期間のうちに。どうしようかな」
僕は彼のこの言葉を、ある種自分の過去に対する共感をもって聞いた。僕と彼はこんな関係だけれど、なぜかその時、彼にそんな間違ったことを思ってほしくないと強く感じた。
「ねえ、俺らまだ若いんだ。そんな言い方ってないぜ。俺は明日のことさえ分からないよ、けど何も始まってない気がする。そんなの人生のほんの一部だ。ダメだったら、俺と一緒にダメになろう。フリーターになろう。好きな時に散歩して、何も欲しがらない生き方だってある、知ってるでしょ」
余計なお世話だと思ったが、僕はそう言わずにはいられなかった。彼は困惑と悲哀の間のような表情で
「俺にはそう思えないんだ」
と言った。僕はひたすら「狭いよそれ」と思うばかりだったが、そんなことを彼に言う権利はもちろん無かった。

面接の一部始終


「月島さんは、勤務地がずっとここでもやっていけそうですか」
「はい、大丈夫です。どこも同じです」
「そうかあ、心強いなあ。ここではどんな生活をするの?」
「休日になったら寮から車を出して、川を撮り続けます」
「へえ」
「撮ったネガは寮に置いて、長期の休みにそいつを持って東京に行きます。現像と紙焼きを済ませたら、またここに戻ります」
「暗室ならここにも有りそうだけど、東京なの?」
「卒業したら東京に暗室を持とうって約束なんです、友達との。安い家を借りて、静かな」
「それはいい」
「はい」

エイリアンズの思い出

エイリアンズの最初の思い出は、
友人の部屋に行くと友人が興奮した様子で
「おい月島、この曲すげぇんだ」
と言って、静かに部屋のスピーカーが鳴った高校時代だ。
その友人とはいろいろあって二度と会うことはなくなってしまったけど、この曲を聴く度に「ちょっと会いたいな」と思う。